”煙草は大人になってから。”
そんなの誰が決めた?
決めた奴だって、もしかしたら子供の頃吸ってたかもしれないのに?
・・・でも、やっぱり。
”煙草は大人になってから。”
そう実感したのは少し幼かったあの頃。
「もー!!新一、煙草やめなさいよ!!まだ中学生でしょ!?」
澄んだ高い声が広い洋館のリビングに響く。
今年、中学の最高学年になったばかりの新一を置いて、
未だラブラブ恋愛中の両親は、父親の仕事の都合でアメリカ・ロサンゼルスへと移り住んだ。
勿論、「新一も一緒」が、前提で進められていた話だったのだが、
「俺、ロスなんか行くつもりねーぜ。」
と、新一が喜ぶと思ったこの話を蹴ったのは新一自身だった。
勿論、両親には分かっていた。
自由気ままに出来るアメリカ行きを蹴ってまで
この新一には少し堅苦しい日本での生活を選んだのか。
理由はただひとつだけ。
アメリカには新一が一番大事にしているものが無いから。
15歳に成り立ての少年を一人、日本に置いておくのはかなりの決断だったろう。
説得も試みた。しかし時間を掛けて出された新一の気持ちを汲み取り、
また、最終的に自分たちの息子を信じ、彼の意思を尊重した。
ひとつのおせっかいを残して。彼らは新天地へと、旅立って行った。
「うっせーな!いーじゃねーか、煙草ぐらい。誰でも吸ってるって。」
彼の行動を咎めた蘭に向かって言葉を返す。
「煙草は20歳になってから!!箱にもちゃんとかいてあるでしょ!!」
少し怒った声で蘭は新一の咥えていた煙草を取り、近くにあった灰皿で消してしまう。
「あ!てめっ!何しやがる!!」
新一が蘭の行動に対して、文句をこぼす。
「おば様に頼まれてるんですからね!私は!!
『ほっとくと新一何もしないから蘭ちゃんしっかり面倒みてやってね』って!」
そう、優作と有希子が一人息子に残した一つのおせっかい。
それは、彼が日本に残る事を決めた原因が工藤家を訪れやすくすることだった。
同時にこれはひとつの事にかまけて何もしない新一が、よりよく生活できるためのひとつの手段でもあった。
彼らの思惑は見事にはまり、頼まれた蘭は元来の面倒見の良さから、
工藤家にたびたび足を運び、家事その他をこなしている。
両親に自分の想いがばれていると悟り、こんなことを蘭に頼んだのだと分かった新一は、
「余計な事を!!」と、悪態をつきながらも、結局蘭がたびたび家に来てくれる喜びに浸っていた。
「ほっとくと何もしねーって、思い込むなよな!俺はちゃんと家のことやってるぜ!」
「どこがよ!!」
新一の反論に、蘭が声を荒げる。
「どの辺が家のことちゃんとやってるよ!一週間ぶりに私がこの家来たら、めちゃめちゃだったじゃないのよ!」
「あー、少しくらいちらかってたって死にゃーしねーよ」
「あのねえ!そういう問題じゃないでしょ!」
自分のことに関しては相変わらず無頓着な新一を蘭がたしなめようとするが、あきらめる。
言ったって無駄な事は分かりきっているのだから。それに、新一の無頓着さも少しは感謝しているのだ。
こんな風に、新一とけんかしながらも、すごせる事が蘭は何よりも好きだったから。
この気持ちをなんて呼ぶのか、今の蘭には分からなかったけれども。
でも、蘭も気づいてはいない。新一も蘭と同じように、こんな風に過ごせることが嬉しいということを。
いや、新一は、この気持ちをなんて呼ぶのか、十分過ぎるほど分かっていた。
・・・告白、してみようかと思ったことは何度もある。
中学生になって、どんどん綺麗になっていく蘭に好意の目を向けているのは自分だけではない。
事実、蘭は何度もラブレターをもらい、告白されたという噂も聞いた。
そのたびに、事実を確認しつつ、蘭に好意を持ちそうな奴を片っ端からマークしていった。
幼馴染の特権を振りかざし、『毛利蘭は工藤新一のもの』を植えつけるように行動してきている。
自分は告白も出来ないのに、こんな行動を取ってしまう自分を情けなく思っていたところに、”それ”を見つけたのだ。
優作の書斎の机の一つ目の引き出しの中。
とある事件の資料を探していた時に偶然見つけたそれ。
優作の吸っていた煙草1箱。
大人に近づけるかも・・・。
少しでも大人に近づけば、蘭に告白も出来る・・・?
”煙草”というアイテムに引かれる興味と共に湧き上がってきたひとつの考え。
新一は煙草の箱を取り出した。
_−その日から、新一は煙草を覚えた。
いつものように、夕飯のおすそ分けに来た蘭にみつかり、煙草を取り上げられるものの、新一は煙草をやめなかった。
ずっと、このいいあいを続けていくのも悪くない。と嬉しくもあった。
つまりそれは、『蘭が新一を心配してくれている。』と。『蘭が新一を見ている』と実感できるから。
ところが、この日の蘭は違った。
煙草を取り上げられ、もう一度煙草に火をつけた新一に向かって、
「そうね。誰でも一度くらいは吸ってるものね。」
と言葉を返してきた。
「蘭??」そう不思議そうに蘭に声を掛けた新一の耳に、もっと信じられないような言葉が返ってきた。
「私にも1本、頂戴?」
「へ・・・!?」
自分でも分からないような声が出る。
咥えていた煙草が口から外れそうになり、慌てて灰皿に押し付けた。
「だから、煙草。1本、頂戴?」
再度、確認するように蘭が新一に話しかける。
そのまま石のように固まってしまった新一を尻目に、蘭は煙草の箱に手を掛け、1本、取り出した。
「新一、火は?」
煙草を手に蘭が話しかける。
「あ、ああ・・・。でも、蘭、おめー・・・。マジで吸う気か・・・?」
蘭の言葉に、固まっていた体をようやく解き、新一が蘭に伺うように尋ねる。
「何よ?新一は吸ってよくて、私はいけないの?」
少し怒ったような蘭の声と顔。
「いや、まあ・・・。いけないとかじゃなくて・・・。」
あいまいな答えを返しながら、新一がそばにあったライターの火をつけた。
長い髪を片手で押さえながら、煙草を咥えて新一に近づく蘭に、
今までのどんな時以上に鼓動が早くなり、顔が赤くなっていくのが自分自身で分かる。
スウッ・・・。と吸い込み、煙草に火がついたのを確認して、蘭は新一から離れる。
初めて吸ったとき、新一はなかなか火がつかなくて苦労したのに、蘭は苦も無くつけた。
その事実が悲しくて・・・。
煙草を吸う、蘭をまともに見れず、顔を歪めそうになったその時ー・・・。
「ゴホッ!ゴホゴホッ!」
「え!?」
驚いて顔を上げた新一の視線の先に・・・。
初めて吸った煙草にむせている蘭がいたー。
「もー!こんなもの、新一もお父さんもよく吸ってられるわね!!煙た〜い!!苦しい〜!」
蘭はゴホゴホとセキをしながら文句を言っていた。
「あー!苦しかった!やーっぱり私には無理だなあ。」
笑いながら言われたその一言。
向けられた笑みに新一の心臓がドキンとはねた。
新一が煙草を吸い始めた原因が蘭なら、やめた原因も蘭だった。
「ちっ・・・。しゃーねーなあ・・・。」
まだ残っていた煙草の箱を、そのまま握り締めて、ゴミ箱に捨てた。
「あれ?新一、煙草、いいの?捨てて・・・」
蘭が不思議そうに話しかけてくる。
「ああ・・。もう、いいんだ。まだ、今の俺には早すぎたんだよ。」
・・・。そう、早すぎた。
蘭が煙草に火をつける姿を冷静に見られなかった。
蘭が煙草を吸う姿をまともに見れなかった。
「俺は大人だよ!だから、いいんだよ!」
そう、言い切れるほど、俺は大人じゃなかった。
だから、今はまだ、煙草を吸う資格は無い。
”煙草は大人になってから”
でも、いつか煙草を吸える大人になった時、蘭はきっとそばに居てくれるだろう。
文句ももう言われないだろう。
・・・いや、言われるかもしれない。
「もー!新一!煙草吸いすぎよ!」とかね。
だが、蘭の行動については大人になってからも冷静では居られない事に気づくのは、
新一が煙草を吸っても誰にも咎められない頃。
ー蘭を腕の中に収めながらようやく気づくのだった・・・。